ロンドン西部のテムズは美しい。殊に国王の離宮(現在の王立植物園)があったキューからリッチモンドにかけて広がる水と緑の風景は、のどかそのものだ。そこは、イギリスを代表する風景画家ウィリアム・ターナーによってたびたび描かれている。実はターナーは十歳からしばらく、ブレントフォードというリッチモンドの対岸の町で暮らしたので、その美しい景色を見て育ったことになる。
この地域のシンボルといえば、やはりキュー・ブリッジであろう。ターナーの絵にもこの橋は登場する。現在のキュー・ブリッジは二代目であり、ターナーが描いた初代のものとは多少趣を異にするが、橋の存在感と美しさは今も健在だ。アーチからのぞく向こう側の景色は、どこか御伽の国の世界に通じているように感じられ、見るものを魅了する。
このターナーの絵の景色の手前は、ブレントフォード・エイトという川の小島で、橋のアーチの向こう側に見えるのはストランド・オン・グリーンと呼ばれる地区になる。川沿いの小路に住宅と古いパブが並び、行く者が思わず足を止めてしまうほど優雅な川岸だ。
そこに一つの謎の小島が浮かんでいる。オリバーズ・アイランドと呼ばれるその島は、清教徒革命の際、議会派の指導者オリバー・クロムウェルが秘密の基地を設けたところだと伝えられている。そして、その島と地下通路で繋がっているパブ「ブルズ・ヘッド」で作戦会議を行っていたのだという。このような不便なところに秘密基地を置いたのは、もし敵に見つかっても島から簡単に船で逃げることができたからだった。かつて、この辺りは清教徒革命の激戦地だったが、今、この川はボートクラブのボートが行き交うところとなっている。ちなみに、かの有名な、オックスフォード大学対ケンブリッジ大学のボートレースは、ここから少し下ったところに掛かる橋がゴール地点になっている。
テムズの流れも歴史とともにあるのだと思うと、いつもの景色もまた違って見えてくる。
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